Castor’s voice

カストル

山木屋

知り合いの先輩に誘って頂いて、福島の山木屋という地区に赴きました。本当に密な時間で、何かから解放されたように、心も身体も踊っていました。

 

とうもろこしの苗を植え、ほうれん草を収穫し終えると、温泉へ行って労をねぎらい、宿へと向かう。

 

f:id:deerstone:20200322203304j:image

 

ここが宿泊した場所。きっと気にいると思うよ、と言われていたけれど、実際行くと予想以上の親密さにすっかり虜になってしまい…

 

レコードや本、お料理、お酒、楽器、インテリア、星空…

 

ジョアンジルベルトのボサノヴァとともに語り合いながら、次第に夜は更けていく…

 

実を言えば床に着くころ、一人居間で静寂を楽しんでいたのでした。風が扉を叩く音や、異様な声を出す猫に心震わせられながら、こうした稀有な夜に慄き、また味わい深く魅せられていたのでした。

 

さて、今朝、薪割りをし、焚き火をしながら大豆を煮る傍ら、にんにくの毒素を取りながらにんにくみその準備に取りかかる。お隣の町の方とか色んな人が入ってきては、他愛もない話を交わして去っていく。郷土料理の話(いかにんじんやしみもち)や、南米音楽イベントの話や…そういう何気ない日常の仕草がここにはあって、不思議と心の堰は外れていく…

 

f:id:deerstone:20200322203259j:image

 

大豆が煮えると、機械に入れてペースト状にし、塩と麹を入れて味噌を作る。どれも手間のかかる作業だけど、この手で、この足で、全身で、一つ一つ心を込めて作ることの嬉しさ、恩寵。

 

 

単調さと無味乾燥は別のもの。日々の農作業の所作に隠れた単調なリズム。苗をリズムよく植えていく音楽的身体。そうした単純で過酷な作業に打ち込むときにふと芽生える無心の心。これは、ある意味で禅の境地でさえある。

 

とうもろこしの苗を植えながら、インドとミャンマーの国境近くにあるナガランド州の農民を思い出していた。彼らの日常には詩が溢れ、濃霧のなか唄が響きわたる。一つ一つの身体が、一つ一つの所作が、音素となって跳ね回り、群れてコーラスへと変わっていく。単調なリズムが躍動し、どことなく調和している様はあまりに美しい。それは機械的な秩序ではない。客観的な規則でもない。どこかへと終焉していく求心的なメロディーでもない。